新作歌舞伎脚本         
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由比浜波間新絹(ゆいがはまなみまのにいぎぬ)    羽 生  榮
      
              
 ねらい
 吾妻鏡の文治二年閏七月二十九日の条、静御前出産と、それに続く赤子の殺害の記事をはじめて目にした時、簡潔な文章のせいか胸にこたえた。内部抗争に破れたとはいえ、武者の世とは非情なものだと思った。静は一言の抗弁もせず、八幡宮で舞まで強いられた上、京へ帰ったことになっているが、憤慨した私はもう少し熱い血の流れている静を想定してみたくなった。又好色の頼朝が、美しい静を「欲し」とも思わず帰したのだろうか。何かもっと人間臭い時間が、二人の間にありそうな気がしてきて、これを書いてみたのである。
                          
 あらすじ
 義経の妾静は、義経の行方詮議のため捕えられて東へ送られ、義経の子を出産するまで抑留されることになり、鷹遣ひの賎の家に母と共に預けられている。そこへ平頼盛とその母(池禅尼)が訪ねて来る。池禅尼はその昔頼朝の命を救った清盛の継母であった。平氏一門であるが昔の恩を忘れない頼朝に助けられ、その御礼言上にと東へ下って来たのだった。お互い今昔の思いを分かちあい、嘆きは尽きなかった。
 静の子は男児ならば取り上げられてしまうので、女児出産を祈願するため、四人で元八幡へ参詣に出かける。そのあとへ、頼朝が鷹を見舞うふりをして、静に会いに来る。そのお忍びを大進局の匿れ家と感違いした政子の女房たちが、「後妻打(うわなりう)ち」をしてしまう。何とか胡魔化したものの、頼朝は早々に帰ってゆく。静と母は頼朝の持って来た見舞の品を見て、悪い予感を持つ。

 初秋、静の産んだのは生憎男児だった。早々にもぎ取られ、由比ケ浦の波間へ捨てられてしまう。それを追って静は浜までやって来るが、折から三郎の鷹が海に浮いていた赤子の産着を拾って来てくれる。しかしそれにはすでに中身はなかった。

 静の帰京が近づくと、名手の舞を一目見たいと、人々は策をめぐらし、静に舞うことを承知させてしまう。社殿の神庭には舞台作りが突貫工事で進められるが、体調不良の静は控の間で臥せてしまう。そこへ頼朝が見舞に訪れる。静は夫の誠意を陳弁し、子を捨てられた恨みを頼朝にぶつけ、短刀で切りつける。しかし頼朝は却って抱き寄せるのだった。頼朝より義経の腰越状を手渡され、読むうちに狂おしくなる静。しかし神楽の出の音に白拍子の静に戻り、毅然として出てゆくのだった。                  



                  由比浜波間新絹(ゆいがはまなみまのにいぎぬ)    羽 生  榮
                           

登場人物

第一幕一場(静御前寓居の場)
 静御前(源義経の妾)
 磯禅師(静の母)
 餌取三郎(鷹遣ひ)
 平頼盛(平家公達)
 池禅尼(頼盛の母)
 源頼朝(鎌倉殿)
 伏見広綱(祐筆)
 御台所女房たち
 餌取三郎下僕たち

第二幕一場(静御前寓居の場)
 北条時政(頼朝家人)
 安達新三郎(同)
 静・磯禅師・赤子(静の子)

第二幕二場(由比ケ浜の場)

 静・磯禅師・餌取三郎
 近所の子供たちとその親たち

第三幕一場(鶴岡八幡宮回廊の場)
 北条政子(頼朝の妻)
 畠山重忠(頼朝家人)
 工藤祐経( 〃  )
 梶原景時( 〃  )
 伏見広綱
 女房たち・職人たち・清目たち

第三幕二場(社殿控の間の場)
 静・頼朝・政子・巫女

  
     
     


 第一幕一場(静御前寓居の場)
    時は十二世紀後半の鎌倉。由比ケ浜に程近き賎の家(鷹遣ひの餌取三郎住居)。
    屋体にて中央に田舎家の居間、火桶、家具少々。左手土間に餌鉢、臼杵、蓑笠などあり。
    中央の出入口に暖簾下がる。上手母屋に続いて鳥屋(とや)、下手に柴折戸ありて、家の周りは
    芽吹きそめたる木々、白梅咲く早春の午後の景。
   
   春来れば雁帰るなり、白雲の道行きぶりに言や
()てまし

    幕開くと、静(義経の妾)一人、居間中央の縁に端居し、面やつれの体なれども品よき風情。
    雁の声にふと空を見上げ、思はず柴折戸のところまでゆく。
静御前 なうなう雁がねよ、その棹に刺し鈎にかけ、わが夫さまのみ許まで、わらはの心届けてよ。
    この身は去年(こぞ)の空蝉ぞ。恋しやな、判官殿。(雁の声)

   つばさ持つたる雁がねの、
()たやなう、くやしやなう

静御前 今頃はわが夫さま、忍ぶ文字摺り旅衣、着つつ馴れにし
陸奥(みちのく)の、いづれの宿に
    おはすやら・・・・・。
     ト空を見上げて忍び泣く。(裏庭で犬の声、二声三声)
     正面入口より老尼(静の母
磯禅師(いそのぜんじ)現れる。静の庭に居るを見て、縁端に来て座す。
磯禅師 今日は犬どものよう吠えること。静や、そこにゐやつたかえ。春とはいへ、風の寒さよのう。
    身重の身に冷ゆるは禁物。ササ、入つたがよい。(手招きする)
静御前 雁がねは陸奥(みちのく)よりも北へゆくと申しまする。わが君様に言伝て言ひとうて。
    ホホ、ホホ・・・・・。
     ト静、懐より手鏡を取り出す。
静御前 雪降りしきる吉野山、辛き別れのその時に、判官殿より
()び給うたこの御形見の鬢鏡(びんかがみ)・・・・・。

   見るとても映すは憂ひ増鏡、恋しき人の影を
()めねば

静御前 エエイ、いつそ・・・・・。(投げて捨てんとする)
磯禅師 コレ何としやる、滅相もない。(手で制して)初音の鼓も賜び給うたに、
雑色(ぞうしき)どもに
    持ち去られ、一人吉野に捨てられて、やうやう戻つたその苦労を忘れてか。九郎殿のお顔写せ
    しその鏡、命に代へても・・・・・。(と
(たしな)める)
静御前 ・・・・・ほんにその通りでありました。もつたいなや。(袖口で拭ひ、押し戴く)

   形見こそ今はあだなれこれなくば、忘るる時もあらましものを

     ト静、鏡をじつと見つめ胸へしまふ。母に手を取られて縁に上り、二人奥へ入る。
      上手より下僕二人、箒と塵取を持つて現れ、庭先を掃く。(又犬の声)
下僕一 今日は夜叉丸めが、えこう吠えたてる。何ぞ珍らしきお方でもお出でるんかいなア。
下僕二 珍らしきお方といへば・・・・・御所様かい。何しろ鷹の虎丸が大のお気に入りぢやものな。
    去年(こぞ)の大鷹狩では、一番の
出来物(できぶつ)ぢやつたから。
下僕一 フフフ、いや、そつたらこつちやねえ。今ここにお預り申してをるお方にな、お通ひに
    ならるるかもしれんといふことぢや。
下僕二 ヒヤア、それはなからうに。何しろ弟御の嫁様ぢやぞよ。その上今はお
孕女(はらめ)様ぢや。
下僕一 なんのなんの、その道ばかりは別ものぢや。洩れ聞くところ、まことは堀藤次様方へお預け
    なのを、密かにここへお移しとか・・・・・。
下僕二 それはソレ、御台様の悋気(りんき)の虫、美しきをなごが御所様の近くに居るを
()かつしやり・・・・・。
    何でも「今すぐに静の腹をたち割つて九郎の子を
(えぐ)り出せツ」と御台様のおつしやるを、
    まあ産むまでとお(とど)めあり、それゆゑその堀様へ置くも危うしと・・・・・。
下僕一 いやいや、どつちが危ういことやら。
     トそこへ鷹を腕に止まらせて、餌取三郎下手より来る。下僕これを迎へて、
下僕一二 お帰りなされませ。
三 郎 アア、今戻つた。留守中何ぞ変りはなかつたか。
下僕一 へえ、夜叉丸めが今日はよう吠えたてまして、お孕女様のお
()つておらるるのをえこう
    お邪魔しましたやうで・・・・・。
三 郎 さうであつたか。しかしまあ今日明日には、かの御子も産まるる気遣ひはないが・・・・。犬ども
    も春が来て気が立つのであろ。明日はいつちやう野馳けさせるか。何か喰はせて気を鎮めて
    やれ。
下僕一二 畏つてそろ。(上手へ去る)

  
右手(めて)に止まれる鷹一羽、常の(つばさ)に異なりて

三 郎 (歌ふやうに)眼は明星を論じ、
青嘴(せいし)は三日月のごとし・・・・・は、御所様のお口癖ぢやが
    ・・・・・。まつこと見事な鷹ぢやて。(つくづく鷹に見とれて)虎丸よ、今年も働いて呉れよ。
     ト上手奥の鳥屋へゆき、鳥を移す。(強い羽音)
鷹手貫(たかたぬき)(腕の防具)で体をはたきつつ
      出て来る。(又犬の声)
三 郎 夜叉丸、
()たえなツ。
     ト上手奥へ急ぎ入る。
     そこへ旅姿の公達(平頼盛)と、輿
     に乗りしその母(
池禅尼(いけのぜんに))、向ふ
     より現る。


   旅の衣の綴れがち、
(ほつ)れし糸を
   手繰りよせ、
知辺(しるべ)尋ねて来てみれば

頼 盛 (七三で振り返り)どうやらこの辺り
    らしうござりまする。ちと伺つてみ
    ますほどに、暫くお待ち下さりませ。


Yu.Saito (八歳) 画       


   母を待たせて草の戸を、開けて明かさぬ憂き心

頼 盛 (柴折戸を開け)まうし、少々ものをお尋ね申す。静様のお泊りにならるるのは、こちらで
     ござるか。まうし静様の。
     ト奥より磯禅師現れ、訝しげに、
磯禅師 さてさて、どなた様でござりまする、わが娘をお尋ねは・・・・・。
     ト縁端へ。池禅尼と頼盛、安堵の色を見せ、
頼 盛 これはこれは、静様のお母君か。
     ト柴折戸より二人入る。
池禅尼 やうやう捜し当てました。(身繕ひし)お初にお目にかかりまする。私は故ありて都より下り
    し者。
(あづま)には知り人とてなく、その心細さにかうして静様のお宿をお尋ねいたせし
    わけにござりまする。
磯禅師 (手を揉みつつ)さてまあ、娘の知り人であらるるか。それは有難いことにござりまする。

   隠れ住む身の侘びぬれば、人の訪ふこそうれしけれ

磯禅師 まずまず、お上り下さりませ。コレコレ三郎殿、三郎殿。(と呼ぶ)

   しばしおん待ち候へと、奥に入りたる尼御前。二人は賎の家打ち眺め

池禅尼 さても侘びしき田舎家ぢやわいなう。
     ト静、気だるげに奥より出で来、二人を見止めハツとして、
静御前 これはこれは、池の大納言様とお母君ではござりませぬか。
     ト両手をさしのべつつ縁端へ、
池禅尼 静殿。(縁先へ走り寄る)
     ト縁の上下で手を取り合ひて見つめ合ふ。
池禅尼 お互ひに、昨日に変はる今日の身の上。

   世の中の憂きも辛きも告げなくに、まづ知るものは涙なりけり

     ト二人、袖口で涙をおさへる。

   昨日は今日のいにしへか、
(ひま)ゆく駒の早さにも、夢に道ゆく心地ぞする

     ト三郎、下僕に桶を持たせ、上手より現る。
三 郎 静様のゆかりのお方々とか。ようお出でなされました。まづまづおすすぎを。
     ト頼盛と母、足をすすぎて上る。五人着座して、
静御前 母様、このお方々は、かの相国の御まま母君・池の禅尼様と、御子息頼盛様にござりまする。
磯禅師・三 郎 シエーツ。
池禅尼 お聞き及びもいたされませう、私ども親子は平家一門でありながら、西国へのお供も叶はず、
    都の片隅にて御一統様の滅亡を聞き知つたのでござりまする。(泣く)

    野中の草の露なれば、日影に消えも失すべきに

池禅尼 その昔、幼き鎌倉殿、九郎判官様方を、み仏の御慈悲に縋りお助け申し上げましたが、
廿年(はたとせ)
    過ぐるに世は変り・・・・・(泣く)昨日の恩は
(あだ)となり・・・・・ イエイエお助け申せしこと
    をとやかう申すのではござりませぬ。平家の奢り極まりて、平氏にあらずんば人にあらずと
    ほしいまま、たうとうみ仏もお手の
縵網(まんまう)より(こぼ)されたのでござりまする。
    あまつさへ重衡殿は大仏を焼き、ほんにこれぞ末法の世にござりまする。(暫く泣く)

  
(よろず)の仏に疎まれし、後生わが身をいかにせん

頼 盛 われらはこの度、鎌倉殿の
羂索(けんじやく)に掬はれ、所領さへお与へ下され、かのお方はわが母に昔の
    恩を返されたのでござりまする。
池禅尼 老い先短きわが命、生くるも死ぬるもあまり変りばえはいたしませぬが、ひと度は御礼言上
    にと、かうして東へ下つて参つたのでござりまする。
三 郎 遠路はるばる、さぞ御難儀なことでござりましたらう。あばら家ではござりまするが、ごゆる
    りとお物語りなどなされませ。
池禅尼 有難う存じまする。
     ト三郎、辞儀して奥へ入る。

    尽きぬ嘆きの身に添ひし、四人(よたり)の御物語なり

静御前 わらはも身ふたつになるまでは、囚はれの身、かの三郎殿にお預けの、つたなき身にござり
    まする。

    過ぎし昔も語られて

池禅尼 後白河の院の(うたげ)、又神泉苑(しで)の池にて、舞を拝見いたしました。ひと度舞はるれば、
    八大竜王も情けを催す白拍子であられましたなア。
頼 盛 公達どもの憧れの御方、くやしや九郎殿に奪はれて。

    君袖触れし梅が枝、わが香移れる君が袖

池禅尼 あの舞姿、神楽囃子が、目に残り耳に甦つて参りまする。
    (神楽囃子が遠く聞ゆる)

    出でし都も偲ばれて

磯禅師 一天万乗の帝をお産みの建礼門院様も、今は大原に隠れ住まるる世となりて・・・・。

静御前 源家に生まれながら、今は追はるる判官殿。
磯禅師 そのお子を身ごもりて、産み月待たるるわが娘。
一 同 変れば変る世の中ぢやなア。
     ト一同泣く。

   世の中はなにか常なるあすか川、昨日の淵ぞ今日は瀬になる

     ト静、ふと乗り出して
静御前 オオ、さうぢや、池の尼君がお寄り下されしも何かのご縁、折入つてお頼みがござりまする。
池禅尼 ハテ、何ぞわらはに出来ることがござろうか。
     ト池禅尼、不審の面持ち、
静御前 (腹に手を置き)間もなうこの子は生まれまするが、
男子(をのこご)なれば取り上げられ・・・・、
    
女子(めのこご)なれば下されるとか。たとひ男子でも、()く寺にやりまするゆゑ、どうぞ
    一命お助け下されと、鎌倉殿にお願ひ下さらぬか。ひとへにひとへに尼君様の御法力にお縋り申
    しあげまする。(詰め寄り、尼君の手を取る)

  
一味(いちみ)の雨を降らさばや、妙法蓮華を咲かさばや

池禅尼 (かなしげに)サテサテ、そのやうな法力が、今のわらはにありますものか。
    鎌倉殿は助けられし有難さ、その危うさを知つてしまはれたに違ひない。火種残れば火が
    付いて、それが大火となりますことも・・・・・。そのお頼みは無理といふもの。
     ト目を押さへ、気を取り直して、
池禅尼 女子(めのこご)を産みなされ、女子を産みなされ。梵天・帝釈・四天王・日本国中の大小
    神祇・八幡大菩薩にお縋りして、どうぞ女子を授かりまするやう、お願ひなされませ。
    (肩を抱く)
磯禅師 われらも今はそれのみ念じ・・・・・。ここへ参つてより物詣では許されて、由比ケ浜の元八幡へ
    お百度踏みに参つておりまする。今日もそろそろその刻限。
頼 盛 ならばわれらも御一緒に、お詣りに参りませう。
磯禅師 有難いことに存じまする。
     卜四人、連れ立ち、池禅尼は輿に乗り皆下手へ入る。三郎・下僕らそれを見送り上
      手へ入る。そこへ向ふより、艶めきし
被衣(かづき)して頼朝、足早に来る。七三で被り
      物をとり、辺りを見廻す。柴折戸より中へ。従者(伏見冠者広綱)、布をかけし三宝捧
      げ持つて続く。
頼 朝 (庭に立つて)三郎、三郎は居るや。
     ト三郎、慌てて上手より出づる。
三 郎 お出でなされませ。丁度よいところへ御来臨。先ほど虎丸の馴らしにゆき、戻つたと
    ころにござりまする。
頼 朝 ウム。(気のなささうに)
塩梅(あんばい)はよいのぢやな。それならよい。実は今日は預け置き
    し者の見舞ぢや。どうぢや、こちらも恙ないか。(セカセカと)広綱、見舞の品を置け。
広 綱 畏つて候。(縁に三宝を置く)
三 郎 実は生憎とお二人とも、日参のお百度に元八幡まで参られたところにござりまする。
頼 朝 なんだ、留守か。
三 郎 まずはお上りなされませ。間もなうお戻りと存じますれば・・・・・。
頼 朝 ウム。少し待つとしやうか。(上つて奥へ入る。三宝を持つて広綱も続く)
三 郎 (一人ごちて)なんだ、虎丸ではないのか。えれえことになつて来やがつた。
    (後を追つて奥へ入る)
     トそこへ、向ふよりオカメの面をかぶりし女房二人、鉢巻・襷がけにて棒と薙刀を持ち、
      小走りにやつて来る。(賑やかな鳴物)柴折戸のところで、
女房一 ヤアヤア、このあばら家へ上様が入られしを見し者あり。さてこそよき御方をお隠しと見ゆる。
    われら二人、御台様のお言ひ付けにより、定法通り「
後妻(うはなり)打ち」を行はんと存ずる。
    お覚悟あれ!
女房二 
大進局(だいしんのつぼね)出て参れ!よくも御台様にお恥をかかせおつたな!エイエイエイ。
     ト柴折戸・庇などを激しく打つ。下僕たち出てオロオロす。三郎も出、
三 郎 ヤア、狼籍者め!用捨はせぬぞ。(棒を振り廻す。下僕共も戦ふ)大進局様など居な
    さらぬワ、何を感違ひいたしをるのぢやツ。(犬の声激し)
     トそこへ、鷹手貫に鷹を止まらせて頼朝、鳥屋より出て来る。
頼 朝 何事ぢや、騒々しい。
女房二人 アツ、上様・・・・・。(棒を捨て、平伏する)
頼 朝 悋気もほどほどにせよと、御台に申せ。鷹を見舞ふも不自由ぢやなア。
女房二人 御無礼をばいたしました。(はふはふの体で向かふへ馳けてゆく)
     ト三郎、頼朝より鷹を受け取りつつ、
三 郎 長いお馴染の丹後局様、今参りの亀の前様、又この度は大進局様、その上ここへお預りの方へ
    まで・・・・・、上様はまつことマメであらるるなア。少しはお慎みなされませ。
頼 朝 アア、三郎めにまで意見さるるわいヤイ。ハハハ・・・・・、広綱、帰るぞ。
     ト下手へ入る。広綱も追つて入る。
三 郎 ヤレヤレ、上様も少しは懲りらるるだらうて。これで静様も当分は無事といふものぢや。
    (奥へ入る)
     トそこへ、静と磯禅師下手より来り、ふり返りつつ柴折戸まで来る。狼籍のあとに驚く。
      上手奥より板や金槌など持ち出て来し三郎に、
磯禅師 何事でござりまする。この近くまで帰りしところ、大き音がいたせしゆゑ、肝を潰し
    て裏の竹藪に隠れておりましたが・・・・・。
三 郎 イヤナニ、ちと間違ひがござつてな、垣と庇を壊されたのぢや。大事ない、大事ない。
    (下僕と垣を直しはじめる)
磯禅師 もしや娘のことでは・・・・・。
三 郎 イヤ、そつたらことではねえ。フフ・・・「後妻打ち」におうたのぢや。
磯禅師 エツ、三郎殿が?
三 郎 ウンニャ、上様が・・・・・。
磯禅師 鎌倉殿がここへお見えで?(磯禅師・静驚く)
三 郎 (直しながら)さうぢや、鷹に会ひにな。それを大進局様をここへ
(かく)まつたと感違ひ
    して、女房の二人ばかりが打つやら壊すやら・・・・・。とんだとばつちりぢや。
磯禅師 左様でありましたか。それは大変なことぢやつたなア。
     ト二人、縁へ上る。三郎奥より、布をかけし三宝持つて出て、
三 郎 上様よりのお土産ぢや。鷹の
(ついで)といふことぢや。
     ト静と磯禅師顔を見合せる。布を取ると、白絹と
天蚕(てんさん(緑色)の絹布二巻き、三宝
      に載つてゐる。
三 郎 恙なきか、と御下問あつて帰られました。(布を眺め)見事な絹布でござりまするなア。
    (奥へ入る)
磯禅師 (静に)悪しき
(しるし)でなければよいが。
静御前 (絹二巻きを手に取り)いざとなれば、かうする覚悟・・・・・。
     ト一本を首に当てる。
磯禅師 ・・・・・。
静御前 (さつぱりとして)それにしても見事な布ぢや。(フト思ひ付き)母様、これで
産着(うぶぎ)
    を二袖こしらへませう。(一巻きずつを母に示し)山繭(やままゆ)のみどりでは女子の衣、白妙
    の布では・・・・・男子のものを・・・・・。(ワツと泣き伏す)
 
          (幕)




 第二幕一場(静御前寓居の場)                         最上段へ 
      暗い中、上手一ケ所に、松明を持つ侍(北条時政)現れ、仁王立つ。
時 政 安達新三郎、新三郎やある。
     ト下手より若侍一人馳け寄る。
安 達 ハツ、御前に。(膝をつく)
時 政 火急の知らせにて、静殿が産気づかれたるよし。疾く行きて兼ねての手筈通り処置して参れ、
    との御所様の御命令ぢや。男子なれば、必ず必ず由比ケ浦の波間に沈めよ。わかつたな。
安 達 畏つてそろ。
時 政 行けツ。(同時に暗くなる)
     ト安達新三郎走り去り、やがて蹄の音。舞台少し明るくなる。前の居間がうすぼんやりと
      見え、中央に屏風が立てまはしてある。屏風の向ふより夜着の裾少し見え、赤子の泣き声。
      合間に女のすすり泣く声切れ切れに聞ゆ。

    焼野の
雉子(きぎす)夜の鶴、子を思ふ声九皐(くこう)に満ち

     ト磯禅師、明かりを持つて現れ、上手の机の上、念持仏の前に置く。あたり少し明
      るくなる。仏に一心に祈る。やがて屏風の方に向ひ、
磯禅師 これ静、いつまで抱いてゐても詮ないこと。さつきからお使ひもみえられてお待ちか
    ねなれば・・・・・。アア、アア、なんたる不運ぞ、男子を産むとは・・・・・。(泣く)

   おのれは罪業深くして、終には地獄へ落ち行かん。きやらだ(せん)なる地蔵こそ、
    必ず来りて訪ひ給へ

      ト安達新三郎、足音荒く奥より出で、膝をつく。
安 達 静様、どうぞ赤子をお渡し下さりませ。御所様のお言ひ付けなれば、是非もなや。
    受け取つて帰らねば、新三郎はここを動けませぬ。
     トイライラした様子。一際(ひときは)静の
     すすり泣く声高く上る。
安 達 埒もなや。しからば、しからばご免
    下さりませツ。
     ト磯禅師を突きとばし、屏風の陰より
     白い布にくるまれた赤子を抱へて出て
     来る。

   荒ぶる神か鬼か邪か、仁王立つたる
    安達冠者

     卜白い着物より赤子の泣き声高く。
静御前 あれエ、今しばし、今しばしツ。

     ト屏風の陰からまろび出、安達に縋りつく。磯禅師も縋りつく。
安 達 お約束なればツ。
     ト二人をつきとばし、一礼して庭へ跳び下り、花道を荒々しく向ふへ。
      (下手奥へ消える。)

   野分のあとの萩の花、散りてこぼるも子ゆゑの闇

静御前 
吾子(あこ)よ、吾子よツ。(泣く)
     ト庭へよろめき出で、跣のまま向ふへ後を追ふ。
   
                  (暗転)


第二幕二場
(由比ケ浜の場)                         最上段へ
    夕日が赤い由比ケ浜。手前砂浜にて正面に海広がる。下手奥に小高い岩場、松一本立つ。
    上手の奥は遠く白砂青松の風景。

   磯の松原(きん)を弾き、沖の波来て鼓打つ。みさご・千鳥の舞ひ遊ぶ、浦に幕ひく人もなく、
   磯は日暮れとなりにけり

     ト静、白い着物のまま、岩場の上へ現れ、辺りを探す風情。やがて岩場にしゃがみ涙を拭く。
     近所の子供ら、童唄うたひつつ、上手より手をつないで出て来る。

  
西寺(にしでら)(おい)ねずみ、若ねずみ、
   
御裳食(おんしゃうは)んだ、袈裟食んだ、
   法師に申せ、師に申せ、

     ト静、放心の体で見下す。波の音。

   トントン
魚屋(ととや)のうーらの千本桜に
   雀が三羽ア止ーまつて、止ーまつて、
   一羽の雀はモノ知らず、
   二羽の雀もモノ知らず、
   三羽ン目はモノ知つて、
   あの山越えて堂建てて、
   堂のぐるりに花まいて、
   一本折つてナ腰に差し、
   二本折つてナ腰に差し、
   三本目に日が暮れて・・・・・、

    
   

    ト静、時々涙を拭きつつ聞く。
 
   カラスの宿借りよーか、糞がある、
   トンビの宿借りよーか、糞がある、
   雀の宿借りて、朝起きて見ーたれば、
   小ーさな赤子が借宿(かりやど)からぶち落ちたア、

静御前 オオ、いやな唄ぢや。(耳をふさぐ)
     トやがて、こけつまろびつ下りて来て子供らに、
静御前 コレコレ、坊や嬢たちや見なんだかえ、先ほどこの辺へ、お侍がやつて来なんだかえ。
     ト子供たち寄つて来て、
子供一 アイアイ、お馬に乗つたお侍が。
静御前 して、その人は?
子供二 海ん中へ乗り入れて、なにか捨てていつたぞえ。
     ト皆、ポンと捨てるしぐさす。
静御前 してして、それは何であつたか。(心せいて聞く)
子供三 白い着物のやうなものを。
静御前 アアツ。(よろめき)してその白いものは・・・・・。
子供四 しばらく浮いてをつたがなう、波が
(さら)つていつたぞえ。
     ト静、海の方を見て立ち尽す。(波の音)
     急に子供ら二三人、海の方を指差して、

子供達 アレツ、あれは何ぞいなア。
子供一 鷹ぢや、鷹ぢや。何か取つたぞよ。

     ト岩場の松より鷹一羽、つと舞ひ降りて、
     海上の白いものをくはへ飛び上り、上手
     の空へ消える。と砂浜へ、空から白い着物
     が落ちて来る。静、急いで拾ひ見る。
     子供らも寄る。
静御前 アア、これは・・・・・。(広げて白い着物の
    背に「南無阿弥陀仏」とあるを見て)
    あの子の産着ぢや、産着ぢや。
    (抱きしめつつ海を見て)
    体は波に呑まれしか・・・・・。

        ト泣き崩れる。

    愛別離苦に身も捩れ

     トそこへ、上手より餌取三郎、鷹を腕に止まらせてやつて来る。磯禅師も小走りに来る。
三 郎 静様、ここにお出でなされしか。実はこの虎丸が小屋であばれ出し、逃げ失せしゆゑ、方々
    捜しをりましたるところ、海の上にて何か白い鳥でも獲りし様子。さては、その着物であり
    ましたか。
     ト静のそばへ、
静御前 鷹は虎丸でありましたか。(二人に着物を示す)
磯禅師 あの子の産着ぢや。わが孫の産着ぢやわいなア・・・・・。(泣く)
     ト母娘で袖を持ち、背の六字を広げ、拝む。
磯禅師 鳥は五通力あると聞く。鷹も情けを催して、拾つて来て呉れたのぢやなア。
静御前 
(こん)は冥土に赴けど、(はく)はこの()に留まらん。こぶ・わかめ・みるめの
    林わけ入りて、
(いろこ)の宮を訪れよ
静御前 鯛、平目、海のさかなにあやされて、
乳母(めのと)の乳を貰ふがよい。
     ト磯禅師の膝にとりついて泣く。

   子はだーれに抱かそ、
   おまんさんに抱かそ、
   おまんさんはどこ行つた、
   油買ひに、菜買ひに、
   油屋のおもてで滑つて転んだ・・・・・。

     ト子供ら一人づつ、迎へに来た母に連れられて下手へ入る。(童唄だんだん小さくなる)
      一人残つた萌黄衣の女童を静、いとしげに抱き寄せ、
静御前 女子であつたなら、こんな日もあらうものを・・・・・。
     (女童の体を撫でさする。その子も迎へに来た親に連れられて、下手へ入る。
      静、ワツと泣き伏す)

            (幕)


 第三幕一場(鶴岡八幡宮回廊の場)                   最上段へ
     屋体にて、下手に八幡宮の回廊。上手に建築中の舞台半分が見えている。舞台には大い
     なる唐綾の布が半ばまで掛けある。職人達忙しげに働くを、回廊より北条政子(頼朝の妻)
     と女房・従者達見てゐる。

    ここにしも湧きて出でたり石清水、神の心を汲みて知らばや、汲みて知らばや

女房一 御所様には、この度八幡宮に御参詣、その御精進の御参龍中に、下向中なる静殿へ舞を所望
    され、今宵
夜神楽(よかぐら)を舞ふとてのこの大忙し。舞台も粗々(あらあら)出来上つた模様に
    ござりまする。
政 子 あの大き布は何事ぢや。(指さす)
女房二 
紋黄(もんき)唐綾(からあや)の布にござりまする。奉行いたしをりまする工藤祐経殿、事を好む者にて、
    高さ三尺の舞台を作り、あれなる布をもつて包むとのことにござりまする。
政 子 豪気よなう。
女房三 これなる大舞台にて舞ふ静殿が楽しみぢや。
女房一 したが、あの静殿がよう承知したものぢや。思ふ仲を妨げられ、形見なる子を失はれて、何の
    いみじさに御前にて舞を舞ふとかや。
女房二 工藤祐経殿の御妻女が京育ちゆゑ、
(ねんごろ)(すか)し奉りしと承りましてござりまする。
    御参詣、
御腕差(おかひなざし)参らせ給へば、御所様と判官殿の御仲も直らせ給ひ、判官殿も御伝聞
    あらせられて、わがために・・・・・と思し召されけん、なんどと賺し奉るやに承りまする。
政 子 そもそも、いかほどの舞なれば、かほどに人々の念をば懸けらるるぞ。京下りの伏見冠者なれ
    ば存じをらう、申してみよ。(傍らの伏見広綱を顧みて尋ねる)
広 綱 御無礼を顧みず申し上げますれば、舞に於ては日本一の舞、と愚考いたしまする。不束ながら
    京育ちゆゑ、かの地にての評判聞き知るものにござりまする。ひととせ百日の
(ひでり)続きし折、
    賀茂川、桂川も皆瀬切れて流れず、筒井の水も跡絶えて、国土の大事にて候ける折、比叡山、
    三井寺、東大寺、興福寺の高僧貴僧百人、しでの池にて
(にん)王経(のうぎやう)を講じ奉らる。
    しかれども八大竜王納受され給はず、その
(げん)なかりけり。又美麗なる白拍子を百人召して
    舞はせらるれば、と
(すす)むる人ありて、召して九十九人が舞ひたるに、孰れもその験なし。
    納めにて静殿舞ひたりければ、こは不思議、
中葉(なかば)にてみこしの岳、愛宕山の方より黒き雲俄か
    に出で来て、洛中にかかると見えけるより、八大竜神鳴り渡りて稲妻ひらめき、三日の洪水と
    なり国土安穏なりしかば、さてこそ静の舞に知見ありけりとて、日本一と宣旨を賜りけると
    かや。霊験あらたかな白拍子にござりまする。
   (一礼する)
     トその時、上手より畠山重忠と工藤祐経、家来や職人を連れて来かかる。皆、政子を見て
      ハツと膝をつき、
重 忠 これはこれは御台様には、かやうにむさき舞台裏をご
(らう)じとは・・・・・。皆の者、失礼が
     あつてはならぬぞよ。
職人たち 畏つてそろ。(一礼し道具を持ちて舞台の裏へ入る)
     ト重忠と祐経、政子の立ちゐる回廊の下手前に控へる。
政 子 (祐経に)あらかた
出来(しゆつたい)いたしたやうぢやが、上様お成りの刻限には間に
     合ふぢやらうな。
祐 経 ハハツ、ぬかりなく進めをりたれば・・・・・。
    (一礼す)  
     トその時、上手より梶原景時、従者を連れやつて来る。回廊の正面、政子の前に
(ひざまづ)く。
景 時 御台様、心憂きことの出来(しゆつたい)いたしましてござる。かくばかりに舞の手筈も整ひまし
    たるところに、静殿より、この度は御不審の身にて召し下されしかば、鼓打ちなどをも連れず
    候ゆゑ、またの折、都より鼓打ちをも用意して、腕差しをも参らせ候はめ、とのよしに候。
政 子 かの
(をなご)、九郎の寵を(かさ)にきて、人もなげな言ひ(ぐさ)ぢや。鎌倉にて舞はせんとしけるに、鼓打ち
    がなくて遂に舞はざりけりと、噂さるるも業腹ぢや。(忿怒の形相)侍どもの中に鼓打つべき者
    やある。探して打たせよ。
景 時 畏つて候。さてもこれに控へをりまする工藤左衛門尉こそ、京に住まひし折、侍所の
御神楽(みかぐら)
    に召され候ほどの、小鼓の
上手(じやうず)にござりまする。
政 子 オウオウ、されば祐経よ。鼓打て。鼓一拍子にては叶ふまじ、鐘の役はいづれに・・・・。
女房二 梶原殿も
銅拍子(どひやうし)の上手と承つてをりまする。梶原殿、お受けなさるがよい。
景 時 恐れ入り奉りまする。
女房三 畠山殿も笛の名手にて、院の
御感(ぎよかん)に入りたりし笛にて候よし。
政 子 重忠も左様でありしか。
重 忠 恐れ入り奉ります。(一礼す)
政 子 銘々今より励んで、必ず静に舞はすやうに計らへ。
一 同 畏つて候。(一礼す)
     トそこへ、それそれの鳴物(小鼓・鐘・笛)が届く。三人は合奏しつつ、上手へ退く。
政 子 さてもさても、侍大将の
楽党(がくたう)か、あはれ深きものよなう。

   月影ゆかしく見たければ、南面(みなみおもて)に池を掘れ。
(きん)(こと)の音聞きたくば、北の岡の()に松植えよ

     ト職人ども、清めの者たち働き、篝火の支度など始まる。
                                 (舞台回る)



第三幕二場(社殿控への間の場)その夜。                  最上段へ
    平舞台。静、夜神楽を舞ふとて準備し、薄い衣を引き掛けて臥せゐる。周りに大き太鼓、琴、
    衣装箱などありて、控の間の風情。暗い。

   咲きみだれ倒れ伏すとも秋萩は、風の名残りを語るのみなる

     ト緋の袴の
巫女(みこ)、明かりを持ち来り、燭台に移す。周り少し明るくなる。そこへ、
      正装の頼朝、ヌツと入り来る。巫女あわてて小声で、
巫 女 お成りにござりまする。

   垣越しに見れども飽かぬ撫子を

     ト頼朝、静の臥せるのへ、
頼 朝 静、具合はどうぢや。(と伺ふ)
     ト静、薄物を取り身繕ひして、座り直し平伏す。立烏帽子、長袴にて、既に支度は出来て
      ゐる。
静御前 少々目まひがいたせしほどに、臥つておりました。落ちつきましたるゆゑ、大事ござりませぬ。
    直々のお見舞、恐れ多いことにござりまする。
    ト静、畏れかしこむ。

   梨花一枝、雨を帯びたる粧ひの、雨を帯びたる粧ひの

頼 朝 子を産みしばかりにて、肥立ちも十分ではなからう。そもじが京へ帰る前にと、今宵は少し
    無理を言ふて、舞を所望したのぢやが・・・・・。(
(いたは)る)

   折々は思ふ心の見ゆらんに、つれなや人の知らず顔なる

静御前 子を失ひし悲しみの、身に障つて臥せりがち。申し訳もござりませぬ。詮なき子にござり
    ました。あの子は、御所様の甥御にも当らせられますものを・・・・・。お恨みに存じまする。
   (恨みを込めて言ふ)

   無明長夜の憂き迷ひ

頼 朝 許せ、約束でありしぞ。女子を産まなんだは、そもじの不運ぢや。
静御前 
父親(てておや)が屋根より(こしき)を落とす(まじなひ)も、後産(のちざん)埋むる喜びもなく、
    あの子は海の藻屑となりて・・・・・。
     ト静、やにはに懐剣を抜いて頼朝に切りかかる。
静御前 九郎殿のお子の(かたき)ツ。
頼 朝 (あわてず)何をいたす。
     卜静の手を掴み、剣を放させる。頼朝、手を掴んだまま引き寄せ、静を抱く。
頼 朝 九郎の想ひ
()でなかりせばツ・・・・・。
     ト苦しげに静を見る。女をいとほしく思ふ思ひ入れ。静、頼朝の胸で泣く。

   思ひみだれて夕煙り、なびきもやらず

     トその時、上手暗い几帳の陰より、じつと覗く政子の姿浮ぶ。すさまじき形相。
     ややあつて消ゆ。静、胸に縋つたまま、

静御前 九郎殿は、よほど御所様にお
合力(がふりき)なされしに、何ゆゑあつて見捨てられ候しか。
    御兄君を心よりお慕ひ申し候ひしに・・・・・。
     ト頼朝ややあつて静を放し、座る。
頼 朝 九郎めは、京にて検非違使、左衛門尉に任ぜられ、身を
華飾(かしょく)にするなる上、東国の下
    知に背きし者、許し難し。
静御前 官に御就任ありて、位階上がればお家の誉。源の清き流れは千代八千代・・・・・。

    ちはやぶる神かげ宿す真清水の、流れ久しく月も宿さん

頼 朝 公家の仲間に交はりて、雅びの風の吹くままに、院の御所の
(とりこ)となり、五位の尉に
    なりけるを、当家の面目、稀代の重職と申すは、あな心憂し。当代の大天狗・院のお心を
    九郎は知らざるや。
     ト声高に言ふ。
頼 朝 九郎はわが弟、いかでかいとしからざらん。
    京に靡く者あまたありけるが皆追放せしは、
    東国の下知国々に及ぼさんにも妨げとなり
    たれば。(立ち上る)
頼 朝 九郎を許せば示しなし。日本国の仕置き、
    一人わがものなり。(語気強く)
     トやおら、懐より書状を取り出し、
     静に渡す。
頼 朝 これを読むがよい。九郎めは足止められし
    腰越より、あまたの書状を届けて寄こした。
    九郎のまことの筆先は、鬼神をも泣かす
    もの・・・・・。静にも遣はさう。

     ト言ひ放ち、上手へ行く。振り返り、
頼 朝 美しき舞姿、待つてをるぞ。

        ト出てゆく。  
     静、書状を押し戴き、急いで開く。
静御前 オオ、わが夫様のお手紙ぢや。(読む)「左衛門少尉源義経、恐れながら申し上げ候。
    意趣は、御代官のその一に撰ばれ、朝敵を傾け抽賞をかうむるべきのところ、思ひのほかに
    虎口の讒言によりて・・・・・功ありて誤りなしといへども、御勘気をかうむるの間、空しく紅涙
    に沈む」
     ト手早く巻き伸ばし読む。
静御前 「平氏を責め傾けんがために、ある時は峨々たる巌石に駿馬を鞭打ち・・・・・、ある時
    は満々たる大海に風波の難を凌ぎ・・・・、年来の宿望を遂げんとするのほか他事なし…」
     トどんどん読み進み、書状長く垂る。
静御前 「全く野心をさしはさまざるの旨、起請文を書き進ずといへども、なはもつて御宥免
    なし・・・・・」
      (声重々しく)
静御前 「御芳免にあづかり、一期の安寧を得んことを・・・・・」アア、アア、九郎殿。
     ト読み終え、身悶へる。手紙を身に巻きつけるやうにして、狂ふがごとく踊る。

   しつやしつ、
倭文(しつ)苧環(をだまき)くりかへし、
    昔を今になすよしもがな、なすよしもがな

     ト手紙を巻きつけしまま倒れ泣く。
     その時、大太鼓の音一つ大きく鳴り、静ハツとする。われに返り、しずかに腰越状を
     巻き納める。
人長(にんちやう)の声 今宵の御神態(みかむわざ)の人の(をさ)、左衛門尉祐経、懸けたーり。
声    
男山(をとこやま)の惣検校、ならびて懸けたーり。
男共の声 オオツ。
人長の声 
御火(みひ)白く(たてまつ)れー。
男共の声 オオツ。
     卜静、巻きし手紙を胸に挿す。又太鼓一つ鳴る。笛・鼓の音、鳴り出す。静、身繕ひし
      皆紅(みなくれなゐ)の扇を開き構へる。神楽大きくなり、出に近き速さとなる。
      長袴を裁き上手に向く。強き明かり、入口より射す。

   さねさし相模の
神庭(には)に燃ゆる火の、火中(ほなか)に立ちて恋ふる君はも

     ト静、光に向つて毅然として上手へ向ふ。
      

                    (幕)     

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