ねらい
吾妻鏡の文治二年閏七月二十九日の条、静御前出産と、それに続く赤子の殺害の記事をはじめて目にした時、簡潔な文章のせいか胸にこたえた。内部抗争に破れたとはいえ、武者の世とは非情なものだと思った。静は一言の抗弁もせず、八幡宮で舞まで強いられた上、京へ帰ったことになっているが、憤慨した私はもう少し熱い血の流れている静を想定してみたくなった。又好色の頼朝が、美しい静を「欲し」とも思わず帰したのだろうか。何かもっと人間臭い時間が、二人の間にありそうな気がしてきて、これを書いてみたのである。
あらすじ
義経の妾静は、義経の行方詮議のため捕えられて東へ送られ、義経の子を出産するまで抑留されることになり、鷹遣ひの賎の家に母と共に預けられている。そこへ平頼盛とその母(池禅尼)が訪ねて来る。池禅尼はその昔頼朝の命を救った清盛の継母であった。平氏一門であるが昔の恩を忘れない頼朝に助けられ、その御礼言上にと東へ下って来たのだった。お互い今昔の思いを分かちあい、嘆きは尽きなかった。
静の子は男児ならば取り上げられてしまうので、女児出産を祈願するため、四人で元八幡へ参詣に出かける。そのあとへ、頼朝が鷹を見舞うふりをして、静に会いに来る。そのお忍びを大進局の匿れ家と感違いした政子の女房たちが、「後妻打ち」をしてしまう。何とか胡魔化したものの、頼朝は早々に帰ってゆく。静と母は頼朝の持って来た見舞の品を見て、悪い予感を持つ。
初秋、静の産んだのは生憎男児だった。早々にもぎ取られ、由比ケ浦の波間へ捨てられてしまう。それを追って静は浜までやって来るが、折から三郎の鷹が海に浮いていた赤子の産着を拾って来てくれる。しかしそれにはすでに中身はなかった。
静の帰京が近づくと、名手の舞を一目見たいと、人々は策をめぐらし、静に舞うことを承知させてしまう。社殿の神庭には舞台作りが突貫工事で進められるが、体調不良の静は控の間で臥せてしまう。そこへ頼朝が見舞に訪れる。静は夫の誠意を陳弁し、子を捨てられた恨みを頼朝にぶつけ、短刀で切りつける。しかし頼朝は却って抱き寄せるのだった。頼朝より義経の腰越状を手渡され、読むうちに狂おしくなる静。しかし神楽の出の音に白拍子の静に戻り、毅然として出てゆくのだった。
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