新作文楽脚本               表紙へ


   

             
馬娘神婚譚(おしらものがたり)       羽 生  榮
          
 ねらい
 我が国の東北地方から関東・中部地方へかけて信仰されている「おしら様」は不思議な神である。もともと土俗信仰の神らしいが仏とも習合し、又民話も混入して一種不可思議な味を持つ。東北地方の博物館でおしら神を見た時、その意外な大きさと「おせんだく」という衣の派手やかさに、圧倒されてしまった。もっぱら女の祭る神といわれているその御神体は、一対の桑の棒なのだが、その棒には幾重にも盛り上るように色とりどりの布が着せてあり、一方には娘の顔、もう一方には馬の顔が描かれてあった。何か禁忌(タブー)の光景だったが、どうやらこの馬は悪霊を撃退してくれる客神であり、娘は人身犠牲というよりその客神を喜んで迎え入れる共同体の女達のシンボルだったらしい。正月・三月・九月の祭礼は、農業・蚕業とも結びついて、豊穣を願う神と解釈されている。それは馬頭観音とも習合したようである。

 中世、三浦氏の滅亡の折、三浦家村は一人脱出し、漂泊の末三河地方に土着し、後の世まで家を保ったといわれている。宝治合戦の疾風怒濤を思う時、その逃亡は少々疑問なのだが、これを中有(ちゅうう)(中陰)の状態とする事にして、ドラマを作ってみた。八部衆の一人(けん)闊婆(だつば)は、もともと帝釈天(インドラ)の部下であるガンダルバアのこと。半人・半馬の姿をし、ヨーロッパへ行ってケンタウロスとなった。乾闊婆は中有に迷う死者の姿ともいわれている。これを昼と夜に分けた姿に変形させ、姫と恋を語らせてみた。昔、桃畠の隣りに住んでいた時、花の咲いている間中、昼も夜も桃源境のようだった。そんな民話的世界の桃色で、武士の世の殺伐を塗りつぶしてもみたかったのである。


 あらすじ
 甲斐の国・桃木村の荘司の娘・下照姫は、三月のおしら様の祭礼の晩、二人の男の訪問を受ける。
一人はこの地の地頭・安達七郎、今一人は傷ついた若い落武者だった。手厚く看護するうち、落武者と姫は恋に落ちる。その若者は夕べに来、暁に蹄の音を残して去るのだった。強引な安達の求婚に、姫は妊娠を告げる。怒る親や安達に責められても、姫もその若者の素性を知らないのだった。姫の危難の折に馬となって現れて姫を救った若者は、自分は安達によって滅亡した三浦家の六郎家村であり、一族滅亡の折逃れて三浦の血を残すよう、又頼朝公の尊像についた血の汚れを霊泉で洗い北条に帰参を願えと兄より遺言され、その目的の為に夜は生身、昼は馬とされたこと、実は自分は中有に迷う死者なのだと告白する。驚く姫は必死にひき止めるのだが、若者は暁に馬となって去ってしまう。

 それから七年が経ち、姫は六才の男児とあばら家で暮している。父母も今はなく、その貧しさにつけ込んで安達は手かけ奉公を強要する。姫は危難に現れてくれる夫を期して、意外に素直に承諾する。安達は喜び約束の法要の日に迎えにゆくと、何処からか家村の三人の妻と三人の子がお参りに現れる。その三人の男児と姫の子も、背中に(たてがみ)が生えているのだった。姫が七郎に連れ去られようとする時、おしら馬が現れ、七郎を角にかけ池に投げ入れる。その池は七郎の血も清めるほどの霊泉で、その水で絵像を洗うと、もとの美しい尊像に戻ったのである。尊像の巻物を持ち帰参を願おうとする三人の妻と子たち。姫は皆と別れ、馬の成仏を願うため、一人この地に留るのだった。


                                
                馬娘神婚譚(おしらものがたり)   羽 生  榮
       登場人物
(桃木判官奥殿の段)「おしらあそばせ
  下照姫(桃木判官の娘)
  春刀自(判官の妻)
  しのぶ(腰元)
  安達七郎(地頭)
  落武者(角馬)

(桃木館客殿の段)「あかひめじゆなん
  桃木判官(桃木村荘司)
  春刀自・下照姫・しのぶ
  安達七郎・角馬
  牧の番人

(桃木館奥殿の段)「あくきちやうぶく
  下照姫・判官
  角馬(実は三浦家村)
  祈祷憎

(桃木住家の段)「びやくれんげ
  下照姫・しのぶ
  駒王丸(姫と馬の子)
  安達七郎・家来・新助(農民)

(角馬敵討の段)「もものじやうど
  下照姫・しのぶ・新助
  駒王丸・駒形丸・駒影丸・駒石丸(家村の子供)
  家村の妻三人
  安達七郎・家来・僧
  角馬


 
桃木判官(ももきはんがん)奥殿の段 おしらあそばせ
 陽の沈む西に国あり崑崙(こんろん)の、瑤池(やうち)に遊ぶ穆王(ぼくおう)が帰るを(いと)ふ夢の国。不老長寿のその国の西王母(せいわうぼ)
奉つたる仙桃(せんたう)
(くわ)、喰らひ尽せし漢の武帝の、命延びしか縮みしか。
 我邦の仙境・甲斐の国、風流心(あそびこころ)に誘はれて里山中山打ち越えて、その又奥に棚引ける霞を分けて
来てみれば、そこは花咲く桃源の村の(わた)りとなりにけり。春の風さへ(なまめ)きて、今宵は(いつ)き奉るおし
ら様の桑の棒。祭壇に灯明(みあかし)上げ、桃の木村の荘司が娘・下照姫(したてるひめ)、手に()り持てる二つ木の、一つは
娘の(まゆ)はける、今一つは恥かしやお馬の首のとり合せ。七重八重に(きぬ)着せて、
 「今日は弥生(やよひ)の十六日、おしら様の祭礼とてこのお馬の神様と、おかひこさんの女神様。
  オヽ、着物(べべ)のほんにきれいぢやこと。さア、おしら様あそばせぢや」
と二つの棒を真手(まて)に取り、互ひの神の顔と顔、見合せ見合せあそばせける。その幼なに付き添ふは、
海山千年腰元・しのぶ、
 「この日ばかりは家中の男衆共(をとこしども)(ひま)をやり、女ばかりの神祭りとて、薪割りも水汲みも女手の(まかな)
  ひぢや、苦労よの。したが姫様、この宵は()いた男が忍んで来る夜、(つま)持つ身さへ(ほか)の男と(ちぎ)
  もよしと、おしら様もお許しぢや。こたへられぬ良き夜にござりまする」
立ちて縁より庭眺むれば、桃の苑生(そのふ)(くれなひ)匂ひ、下照る道も暮れなずむ。
木の下闇も花咲く宵は、月もいらず()もいらず。闇とも見えぬ闇透かし、
 「エヽ、そこなお二人、口吸ふたが丸見えぢや。やれやれ、相手がないのは姫様とわらはばつか  
  り。したが姫様、おしら様をお祭りなすれば、姫様にも好いたらしい殿御が現れなさらぬでも
  ないぞえ」
下照姫、桃より紅く頬染めて、
 「コレ、しのぶ、言はせておけば何を言ふ、恥かしいことばつかり」
(たもと)で隠す生娘(きむすめ)の、固き蕾も春風の、誘ふを待つを()が知らむ。
 「この神様はおしら(ぼとけ)ともお呼びする霊験あらたかな女の守り神ぢやと、お(かか)様より聞きました。
  ぢやによつて(いつ)き祭るを何ぞいなう、しのぶ()不埒(ふらち)なことを・・・・・」
しのぶ殊にも色なして、
 「不埒とは心得ませぬ。桃の花も蜂に刺されて味よき実をつけまする。わたしや待たるる恋の蜂」
折しも廊下伝ひに姫の母御の春刀自(はるとじ)が、供物(くもつ)捧げて待ち来たれば、
 「お出でなされませ」
と二人の主従手を仕へ、下品(げぼん)の言葉呑み込んで、上座に通し(かしこま)る。
 「オヽ、美しう飾れました。我が供物もその端に置かして()も」
母より受け取る餅・果物、娘いそいそ働くへ、
 「コレ姫や、今表御殿(おもて)へ客人のご入来(じゆらい)あつて、姫を嫁にとの有り難きお話。
  お相手はこのたびの合戦にお勝ちめされし北条方の御大将(おんたいしやう)・安達様のご令息・七郎君
  であらるるぞ。新補(しんぽ)地頭にお着任あつて、姫をたつてのご所望ぢや。引出物も山のやう。
  ()父御(ててご)も殊の外のお喜びなれば、この母もうれしいぞえ。地頭殿のおかみ様なら、お前
  も一段の出世者。このふた親も安堵して目がつむれる。サゝ、気持ようウンと言ふがよい
  ぞえ」
聞くなりしのぶ驚きて、
 「こは早速に霊験の顕るる、何とあらたかなおしら様ぢや、あなかしこかしこ。姫様、はやも
  蜂殿が現れました」
下照姫もうち驚き、
 「わらははまだまだ未熟者、まだ(かか)様のお(そば)がよいわえ。(とと)様のお膝を離れともなや」
幼なに(かぶり)振りたるを、しのぶ引き取り、
 「姫様、こはおしら様のお引き合はせ。きつとよいお話に違ひないぞえ」
 「ぢやと言ふて、わらははそんなお人へなんぞ・・・・・」
(ふすま)ガラリとその場へ赤面(あかづら)、安達七郎目鼻くづして、
 「姫はおぢやるか、我が妻殿はおゐやるか」
ズカ、ズカ、ズカ、と入りにける。下照姫()
をののき、
 「アレー」
とゐざる部屋の(すみ)
 「オオ、ここかここか」
と七郎赤鬼、姫の手を取り引き寄せる。


          Yu.Saito (八歳) 画
 「()んぬる入部(にふぶ)の折柄に、ふと見染めしより(まなこ)に残り、夜の枕の面影に、出でては消え、消えては
  出でて()ねもやられず。恋にやつれし(それがし)を、憐れと思ひ我が嫁に」
と口しほらしく、引く手は強し。下照姫気を失はんばかりにて、
 「(かか)様母様」
と泣かれける。ここは海千しのぶの出番、
 「サテサテ、お気のお早いこと。まづまづお手を離されませ。恋の(やつこ)は、テモお気の早いもの
  ぢやなア」
七郎も油手(あぶらで)のひら引つ込めて、
 「どうすれば(おなご)の気の済むものぢやえ」
 「まずお歌を遣はされませ。恋のお歌を二つ三つ。こちらからもお返しあつて、じやらじやら
  じやらと」
目交(めまぜ)して、恋のイロハを教へける。
 「さてもさても、某は三十一(みそひと)文字は苦手にて、飛ぶ鳥落す(わざ)、相撲とる技、人切る技、そんなもの
  なら見せやうものを」
 「まづまづまづ、今日のところはお引き取りあつて」
と背を押し御殿(おもて)(いざな)ひ行く。母刀自、おののく娘を(いたは)り座につかせ、
 「去んぬる宝治の合戦に、三浦の家はご一門討死なされしとの報せ。この三浦の知行(ちぎゃう)()も敵方に
  乗つ取られ、安達様の御支配となりしこと、そもじも知つてのことと思ふが、我等(ざい)の者共
  には泣く子と地頭は何とやら、まず従つておいた方が」
下照姫、親の胴慾・無理()ひに、
 「あんまり急な話とて。ぢやがやつぱり、いやぢや、いやぢや」
 「なんぞいなう、頑是(がんぜ)ない小童(こわっぱ)のやうに。まァ(とと)様のご機嫌を損ねぬうちに、まとめたいもの」
と独り()ちて立ち行けば、いたはしや下照姫、二本の棒を真手(まて)に取り、
 「おしら様も罪つくり、あんな殿御をお連れあるとは・・・・・。木偶(でく)の棒ぢゃ、木偶(でく)の棒ぢゃ」
と泣き伏す胸、二つ抱へる神の()もしとどに濡るる春の宵。さるほどに、根岸(ねぎし)を洗ふ
川波が岸辺に寄せる捨て小舟。暗きが中に唯一人、(よろひ)を着たる姿にて、袖に貫く矢も(しる)し。
舟べりに(もた)れ伏すは若武者とこそ見えにける。しのぶ、恋の奴の(ほこ)収めて立ち現れ、
 「ヤレヤレ、やつと(つくろ)ふて送り出したはよけれども」
恋の仲立ち取り持ちの、袖の下とて手に入る百文。重さ確かめ(ほく)叟笑(そゑ)み、
 「さてこれからが一仕事・・・・・。オヤオヤ姫様、泣き寝入りとはおいたはしい。悪い風でも 
  お引きあつては・・・・・。サヽ、戸など立てませう」
ふと障子を立てる手を止めて、
 「時ならぬ小夜(さよ)(あらし)・・・・・。束の間の村の浄土が、散る花の先に消えゆく。
  ()しやの惜しやの。アレ、あれは何ぞいのう、岸辺に見かけぬ舟が着いて・・・・・。姫様、姫様」
涙の粒の一雫、つけしままなる(おもて)を上げ、
 「何事ぢや」
 「見馴れぬ舟に見馴れぬお人が・・・・・」
姫様早うと促す者も、水際(みぎは)に降り来る足定まらず、
 「お侍ぢや、落武者ぢや」
と主従が抱へる草摺(くさずり)裾濃(すそご)の色も泥まみれ、抱へ入れたる神の部屋。
 「何処のお人ぞいなう、手傷を負ふておいたはしい。しのぶ、早よう気付けの薬を」
 「あいあい、したが落武者なれば詮議もきびしい」
シツとしのぶを制する姫、薬袋の口もどかしく取り出だしたる気付けの薬。
 「さて何とせう、このお口は、ぴたり閉せる貝の口。エエ、どうしたものぢややら」
 「姫様、お口でお口で」
と促せば、小つばめの閉ざす口へと親つばめ、口移しにて入れにける。
 「オヽ、気が付かれしか、安堵した。アレ恥づかしや、我れとしたことが・・・・・」
隠す口とは裏腹に、目は見つめたる若武者の顔に差し来る血の色の、ホノと男を上げゐたる、
その顔面(かんばせ)の慕はしさ。若侍の起き上り、弱法師(よろぼし)なれど両手をつき、
 「どなたかは存じませねど、ご介抱を賜り忝う存じまする。某は相模の国の住人。去んぬる
  年の戦さに破れ、刀は折れて矢玉も尽き、落ち行くまゝに従ふ者も、我が馬にさへ死に別れ、
  独り手負ひの身に鞭打ち、山二つを越したるところ、かすかに滝の音を聞き、よろばひ行けば
  川に出会ひ、やれうれしやとしたたかに、水を飲みたる有難さ。見れば岸辺に捨て小舟、その
  舟中にドウとばかりに倒れし迄は覚えをりしが・・・・・、気が付けば錦のしとね、お礼の言葉も
  ござりませぬ」
下照姫、いたはしさに眼をうるませてもの言はれず。心察する腰元しのぶ、
 「したがほんにようござりました。落武者狩りにもお会ひにならず、ほんにまァ。ここは山深き
  里なれば、お心ゆくまでごゆるりと、御養生なされませ。この()の姫と私めが介抱させて
  いただきまする。とにもかくにもお召し替へを」
と枕屏風を立て廻し、脱がす小袖は土の色、所々(しよしよ)に沁みたる黒き血の(まだら)()めするすさまじさ。()が袖か、かけし(なさけ)の草の宿。春の夕べを()(がくれ)て、夢路に(とけ)けし下紐(したひぼ)の、(もつ)れし先のもどかしや。恋の(なぎさ)に寄る(しほ)の、満ちて溢れむ一間の内。しのぶ膳を持ち来り、
 「まずはお食事を差し上げませう。したが金を貰つた手前もあり、落武者ありとばらさうか、サテ
  ここが思案のしどころ」
独り()つ障子の外、灯影(ほかげ)に映る俊馬(しゅんめ)の影、後足にて立ちたる姿に、
 「ヒヤー」
膳放り出し腰抜かし、腰元しのぶバタバタバタ。
 「何事」
と障子開けたる若侍、青き小袖もスツキリと。下照姫も打ち出でて、
 「何事ぢや、騒々しい」
アワヽとしのぶ後ずさり、奥の間へと逃げ入りたり。若侍の姫に打ち笑み、
 「落ちし者をおかくまひ下され、厚きお手当を施され、まことにまことに忝き次第。故ありて
  名も明かされぬ、逗留もならぬ身なれど、今宵一夜お世話に相成り、御礼の申しやうもござり
  ませぬ」
 「一夜と言はず千夜も万夜もお(とどま)り下さりませ。いと細きおん腰に、いまだ太刀は重から
  うと存じまする。矢負ふお背は手負ひ傷、いまだ癒えてはをりませぬ」
返しともなや、離しともなや、恋の手管(てくだ)は知らずとも、色に出でたる恋ひ心、花の間だにも添ひたしと。
 「遣りともなやなう」
更け行く鐘を悲しびて、別れの鳥をぞ恨むなる。下照姫、若侍の袖(とら)へて、
 「もろこしの舞楽に『没日還(ぼつにちかん)午楽(ごらく)』といふものあり。入り日を還す舞とかや。
  入る日をしばし止まれと招き給へば、山の()にかかる夕日が又(うま)(とき)に立ちる。
  わらはもかうして月を招き、夜を長うして君との別れを暫し止めむと・・・・・」
月も有情(うじゃう)に聞きたれば、扇持つ手に還されむと、見えしほどなる心地して、二人の影も(おぼろ)なり。
 「夜も明けまする。お名残り惜しうはござりまするが、さらばでござる」
と思ひ切つたる(しりへ)()に、障子を閉めて涙呑む。縁伝ひに()の裏へ、入ればやにはに馬一疋、走り去りたる不思議の仕わざ。部屋より姫の嘆きの声、夜の深みを
                                        最上段へ 



 桃木館客殿の段 「あかひめじゆなん
泣き渡る。
 深みどり葉末に光る桃尻の、熟れて香の立つ初夏や、桃の木村の判官(やかた)、今しも客人七郎君、お茶よ菓子よと持てなされ、下照姫も桃の実三(くわ)、熟れし香りを篭に盛り、そろりそろりと(すす)めける。
 黄泉(よもつ)比良(ひら)坂坂本の、桃子(もものみ)三つを撃ち投げて悪鬼を追ひし故事のごと、この仙桃もて客人(まろうど)を、打ち(はら)ひたき内心(うちごころ)、色に出づればうれしきに、ただ(たを)やかにこそ見えはべる。桃木判官客持て成し、
 「わざわざのご入来(じゆらい)、痛み入りまする。嫁取りのお話、娘にとつては大きに出世、
  我が家にとりても身に余れる誉れにて、何の否やはござりませぬ。娘もああしてお目もじする
  気になりました。お受けの言の葉、(ぢか)に申し上げんと存じまする。なう娘」
 「それならよいが、仲々色よい返事を貰はぬ故、大きに(きも)()れ申した。ワハハヽヽ」
  笑ひに紛らす己が執心、姫の顔色盗み見て、
 「オヤ、顔の色が冴えぬぞえ。どこぞ悪いか我が嫁女」
姫は(たもと)で顔かくし、
 「イエ、イイエ、どこも悪しうはござりませぬ」
蚊の泣く声でひそやかに、顔うつむけて言ひたれば、母刀自つくづく娘見て、
 「桃の茂りの青が染み、青白う見ゆるのでござりませう」
 「今父御(ててご)が言はれしが、我が耳もじかに返事が聞きたいもの。どうぢやどうぢや」
娘は意を決したる面にて、
 「(とと)様と(かか)に申し上げまする。わらはの(はら)にヤヤコが、ヤヤコがをりまする」
シエーと驚く一座の者。父は青筋、母は真赤に湯気立てて、
 「そりやまことか。相手は誰ぢや、何者ぢや。許しもなしに何処(どこ)の男と」
 「おしら様のお馬様にござりまする」
一度ならず二度までも、アツと驚く一座の者。母は娘を引き()ゑて、
 「転合(てんがう)言ふとひどいぞえ、何処の男ぢや」
 「それではやはり、(しの)(をとこ)があると言ふあの噂はまことぢやつたか、親御殿」
 「滅相もない、父も母も何も存ぜぬことぢやわいなア」
側でしのぶも(かぶり)振り振り、
 「確かに姫様のおん元に、忍んで来らるる殿御がござり、お帰りの時(ひづめ)の音が・・・・・、
  したが来らるる時はお馬に乗らず」
 「迎への馬が来るのぢやな」
 「さアそれは」
 「さアさア」
 「さア、一向に存じませぬわいなア」
 「打ち据ゑるぞえ、我が娘。男の名は何と言ふ」
 「存じませぬ、名乗つては下さりませぬ」
安達、堪忍の緒を切らし、
 「小娘が虚仮(こけ)にするのも甚だしい。親御に代つて責めてやらう」
やにはに姫を後手に縛る七郎、憎さが百倍。親はオロオロ(よろ)()ひゆき、腹は立てしも
(いたは)
しがり、
 「何とぞお許しなされませ」
 「(はら)()らしうござりますれば」
 「イイヤ、ならぬ。さア歩め、裏の池にて一しごき」
赤姫の長き袂も荒縄に、()ひ付けられて足鎗踉(よろば)ひ、(きざはし)おりて土踏む足の、爪も喰ひ込む柔土(やはつち)の、()の下闇を引かれ行く。裏庭の池の水中(みなか)、泉湧き出る辺りまで、姫を迫ひ込み七郎は、上顎の牙むき出だし、
 「サア()かせ、どこの男ぢや、白状せよ。エエイ、キリキリ白状せい」
 「ご容赦を、ほんに名を存じませぬ」
身を揉む娘を(なぶ)()の、ドツカと石に腰据へて、
 「誰が本気にするものか、サア名を明かせ」
と責め立てる。
そこへ背戸(せど)より胴間声(どうまどえ)
 「オーイ、暴れ馬が行くぞう、気をつけろやーツ」

声も終らぬその内に、俊馬(しゆんめ)一疋走り出で、馬の(しり)へに人ワラワラ、止めんと走り出でにける。

 
        
(ぬか)一角(いつかく)持ちし馬、やにはに安達を蹄にかくれば、七郎ワツとぞ
逃げ出だす。一角の馬池に入り、姫に体を擦りつけつけ愛憐の情(あらは)して、縛りし縄をシツ
カと(くは)へ、姫を池より引き出したり。父御(ててご)母御(ははご)は走り寄り、娘の縄目を
ほどくうち、馬は彼処(かなた)へ消え失せたり。
 「おしら様ぢや、やつぱりおしら様ぢや」
と皆々去りし方をば伏し拝み、
 「おしら仏、この()の難儀を救ひ給へ」
と父御、母御も祈らるる。
馬の後追ひ出でたる牧人(まきびと)
 「わしはお家の牧の番ぢやが、近頃あの角馬(つのうま)が迷ひ込み、したが夕べにはゐなくなる。
  ()な事もあつたものぢやと、思案してゐたところだて。おしら様ぢやつたのかや、ヒエー
  あなかしこ、あなかしこ」
と手を擦り合せ伏し拝む。下照姫は土下座のまま、
 「わらはのところへお出でるは、夕闇迫る頃ほひで、落人(おちうど)らしき若武者なれど何ぞ
  事情のありさうな、思ひ詰めたる顔付で、それが却つて肌に(あは)、哀れ(もよほ)す男振り。
  ぢやが(あかとき)にはお帰りで、決して流連(ゐつづけ)はいたされませぬ」
 「胎の子は」
 「三月目(みつきめ)で」
判官思ひ返されて、
 「胎の子は、われらにとつては初孫(うひまご)ぞ。何はともあれ産むことぢや」 
 「それがよい、それがよい」
はや(ぢぢ)となり(ばば)となり、胎の子をば慈しむ。蔭から覗く未練の赤面(あかづら)
 「(やつ)れし姫の美しさよ、ほんに水も滴るとはあのことぢや。したがあの馬と姫、それに胎
  の子、ウーム。姫に物怪(もののけ)でも()きをつたか」
歯ぎしりギリギリ音立てて、池の水面(みのも)
                                       最上段へ



 桃木舘 奥殿の段 あくきちやうぶく
騒がせたり。
 人の心は浅き(ふち)かや判官も、娘の難儀のもとなるは、あのおしら神の馬なりと、七郎づれ
入説(にふぜい)され、悪鬼調伏(ちやうぶく)すべきよし、祈祷僧にぞ頼まれける。
 「夕暮は逢魔(あふま)(どき)と言ふほどに、夕方にこそ出でたるは必定悪霊と見えたり。
  娘に憑きし悪鬼(はら)はん」
とて、今はおしらの神さへも邪悪の神に(おとし)められ、嫌がる娘の体じう、柱・障子に長押(なげし)の上、垣守(かきもり)のごと護符(ごふ)貼りて、娘守れる構へなり。部屋のうち一所を清め壇立てて、不動明王安置させ、壁に仏の画像を掛け、乳木(にうもく)山空木(やまうつぎ)加持(かぢ)香水(かうずい)守宮(ゐもり)の血、供具(くぐ)には(ひつぢ)(いひ)を盛り、焼香・塗香(づかう)・牛の骨粉、華鬘(けまん)馬酔木(あせぼ)の花を盛り、閼伽(あか)には牛の(よだれ)を垂らし、灯明には細木(ほそぎ)の油を立て、その他集めし虫の数々、護摩壇にぞしつらへける。海坊主やと見まがふ僧、護摩木(ごまぎ)焚き焚き、
 「(おん)呼廬呼廬(ころころ)栴陀(せんだん)留舎(るしや)那摩訶留(なまかる)舎那(しやなん)
と、画像の軍荼利(ぐんだり)降三世(がうざんぜ)・金剛夜叉(やしや)に大威徳、中尊不動明王を、責めに責めてぞ祈られける。五鈷(ごこ)膝打つて陀羅尼誦(だらにず)し、三鈷をもつて胸たたき、独鈷(どつこ)振り上げ()を打てば、一法成就と見えたりけり。
 折も折、一陣の風吹き起り、護摩壇の火の吹き消され、護符は木の葉と吹き飛ばされ、蹄の音も高らかに走り出でたる一角獣、護摩壇蹴ちらし僧蹴ちらし、姫の回りを駈けめぐる。
 「オオ、うれしや、お馬様」
と姫の喜び一と方ならず。馬は屋の裏へ走り入り、現れ出でしは若武者なり。
 「我が君様、今宵もお目もじ(かな)ひ、うれしう存じまする」
(すが)りつけば、
 「護符も読経も、我が想ひには勝てはせぬ。近頃身辺騒がしうなつた故、そろそろ旅に出でん
  と思ふが、心ならずもこの地に留まつたは姫への愛慕断ちがたく、今日は今日はと思へども、
  たうとう三月(みつき)に相成れり。今まで名を秘めをりしが、某は三浦の六郎家村なり。
  去んぬる宝治の合戦に、悔しや一族討死いたした。もとはと言へば安達が讒言(ざんげん)。 
 『三浦の栄耀(ええう)極まりて、前将軍に肩入れなし、三浦一門謀叛(むほん)(きざし)し』
  と吹き込んだり。三浦の勢力(つぶ)さんための、安達の入道覚地(かくち)が計略。 
  執権殿を(そそのか)し、たうとう討つ手を差し向けられ、心ならずも弓引いて、挙句(あげく)
  法華堂に追ひ込まれ、一族こもごも()(ちが)へたり。死後の恥辱を受けざるため、兄上
  光村殿は(みづか)らのお顔をお()ぎありしのち、お腹を召して果てられたり。 
  その血が飛んで鎌倉殿のご尊像を汚し奉り・・・・・ これこの通り面目なし」
と肩より包み引き下し、巻物を広げたり。見れば御影(みえい)に血の飛沫。
 「一家一門相果つる、恨みは深し安達が一族」
瞑目の、耳に聞ゆる合戦の、法螺(ほら)貝の音、(とき)の声。
 「家の(をさ)なる泰村殿が、この御影を某に与へ言はるるには、この血を洗ひてお返しいたし、
  北条殿に帰参を願へ、又生き延びて家を残せと今際(いまは)の遺言。法華堂の修羅(しゆら)(ちまた)
  を逃れきて、闇に紛れて落ちゆくほどに、落人狩りに見つけられ、切り抜けたれど手負ひと
  なり、たうとう舟中にて絶命したのだ」
アツと驚く姫の手を取り、
 「怨念(をんねん)五体に残れるため、魂魄(こんぱく)この()に迷ひ出で、今は中有(ちうう)の有様にて、
  生きたるやうな死したるやうな、弥陀の浄土に行けざる我が身。子を残すため夜は生身(なまみ)
  千里走つて(たね)つけよとて、昼は馬とされたりけり。夜と昼とに身を分けし乾闥婆(がんだるばあ)となりたるは、
  馬頭観音の思し召し。思はずこの地に長居をしたが、尊像の血汐洗ふ霊泉も捜さねばならぬ事。
  姫は腹の子を大事に育て、(をのこ)なればきつと武士にしてくりやれ」
夫の修羅の一と方ならず、まして中有の今の身を、涙なしには聞けざりけり。
 「聞けば聞くほど悲しきお話。どうでもこれから東へ西へ、走り廻らるることなのぢやなア」
 「胤つけ歩くも悋気(りんき)すな」
姫はドツとぞ泣かれける。やがて涙の顔上げて、
 「なう、我が君様、そのやうなご遺言今は忘れて、二人で生きるを思案しては下さらぬかえ。それ
  とも二人で後生を願ひ、蓮の(うてな)に座らうことも・・・・・」
姫の頼みも耳には入らず、
 「今は怨念
()り固まり、静かに生きるは(かた)かるべし。ご遺言を(まつた)うすれば、又会へる日も
  あらうもの。さらばぢや」
と部屋を出づれば暁の、鐘が鳴るなり恋の果て。屋の裏より馬出でて、高く
(いなな)きいなのめの、明け行く野面(のづら)()けて行く。恋は苧環(をだまき)赤糸を、いとしいとしと()り合せ、一つの糸に五大力、恋の(ふうじめ)したとても、()けゆく折は詮もなや。
                                     最上段へ 



 桃木住家の段 びやくれんげ
 山国の春の遅さよ斑雪(はだれゆき)、垣根に残るそこかしこ、かしこの春を待ち兼ねて、心いそいそ雪囲ひ、村男の新助が板剥ぐ窓を(ひな)()の、きしむ戸障子引き開けて、
 「まァ、囲ひを外したら明るいこと、ほんに春だねえ。新助どの、ご苦労でした」
明るき声に水ぬるむ、小川の(ふち)の猫柳、柳の腰もたくましく、下照姫も鄙の女と変る月日の七巡り。
 「なんの、この屋ばかりの雪(がこ)ひ、大した事もありましねえだ。表御殿(おもて)も今は空家同然、
  雪の積むに任せる有様。惜しいことにござりますだて」
 「住む人も(とぶら)ふ人もなき家が、土に(かへ)るは運命(さだめ)なれば、悲しむにもあたりませぬ。それよりも
  来るたびに、野の物、山の物沢山に、子の守りさへもいたしくれ、有難く思うてをります」
 「ヒヤー、夏でもねえのに汗が出る。したがお子も大きうなられたに、旦那(だん)さまは何処に
  お出でるやら。さぞお子に会ひてえことであらうになう」
 「旅に出られてはや七年(ななとせ)、今は亡き(とと)様と(かか)様が、お作りなされしみ仏を、毎日拝んで
  いるのぢやが・・・・・」
裸木(はだかぎ)の奥に見えたるみ仏は、怒髪天突く忿怒(ふんぬ)(ぎやう)、頭上に(しる)くお馬の首、馬頭観音とぞ見えにける。
妹背と契るその(かみ)を、偲ぶよすがも幼子の四つ身の衣肩上(かたあげ)を、取りては直す日の長さ。
「今日は外へ干せさうな。ちらつかねばよいがなう」
四つ身干す竿にも春の光りあり。
「我が夫様はお胸の(うち)の怨念を、消せぬばかりに
 み仏の、広大無辺のご済度(さいど)を、え受けられぬ
 哀しい身の上」

「安達を(かたき)と思つておぢやらうから、ここ
 の殿様があの七郎に、荘司職(しやうじしき)を召し上げられて、

 悲しみながらみまかられ、奥様も間なしに後を追
 はれたことを、知りなすつたら旦那(だん)さまも、
 只ではお済ましなさるまい」
 「わらはが(なび)かぬものぢやから、安達様も(つら)く当られる。(とと)様も(かか)様もわらはのせゐでみまから
  れたわ。じやが、(かたき)(かたき)を作るもの。敵を取らば討ち返される。何処(どこ)ぞで()めねば、身を切る
  思ひで打ち止めねば、無間地獄(むげんじごく)になるばかりぢや。わらはのところで打ち止めにせう
  わいなう。ホホホヽヽ」
 「姫様は観音さまぢや」
 「新助どのは、農夫でよかつた。倖せぢや」
 「何が倖せなもんかいね。二年続きの旱魃(かんばつ)で、陸穂(おかぼ)の出来は知つての通り。()れ秋
  までの夫食(ぶしき)の米が、どうにも思案つきかねて、みんな大勢困つてござる。百姓も不倖せぢやア」
 「さはさりながら、そこが山国。小物成(こものなり)のお目こぼし、栗・柿・椎の実・山の芋、零余子(むかご)(わらび)
  ぜんまいと、何とか(つな)いでまいりませう」
 「わしら山家(やまが)はよけれども、平地(ひらち)のお方は辛からう」
 「わらはも農夫の嫁なれば、子芋のやうに子を産んで、芋名月には芋供へ、豆名月には豆供へて年
  取つてゆけるものを」
 「姫様が農夫の嫁は勤まらぬ。その白魚の指先が山牛蒡(やまごぼう)になつてしまふ。転合(てんがう)は言はぬことぢや」
 「この弱腰では、勤まらぬことかいなう。ホホホヽヽ。もうすぐ桃も(ほころ)びる。花が咲いたら七回忌」
 「エツ、殿様が三年目、奥様が二年目ぢやないかいねえ」
 「ホホ、ホホホ」
十二の歳の春の日に、夢のやうなる恋をして、めぐる月日も七巡り。
 「オヽ、鳥ぢや鳥ぢや。駒王おぢや、ホレ、あれに鳥が来た、春を知らせにやつて来た」
子を呼ぶ声に縁に出る、(おさな)の君は六才の、若木に繋ぐ駒王丸、(うしろ)にしのぶの控へ申すに、
 「ほんにほんに、春でござりまするなア。鳥めも鳴いておりまする、はら減つた、ママくれと」
 「しのぶ、転合言ふてはなりませぬ。あれは妻を呼ぶ声ぞ」
 「失礼をばいたしました。つひつひ心が色に出て」
 「ほんにしのぶも、この落ちぶれた桃木の家を去りもせず、何くれとなう水仕(みずし)の仕事。  
  ようわらはを支へあつて、駒王をここまで育ててくれた。礼を言ふぞえ」
 「アレ姫様、何をおつしやる。旦那様もかほどに可愛ゆい若君様を、いつか必ず見に来らるると、
  信じて待つはわたしも同じ。必死に祈つて三年五年、とうとう七年にもなりました。今年の桃の
  咲く頃には、きつときつとお出でがあらうと、しのぶは楽しみにしておりまする」
供物(くもつ)(ははき)持つ主従、庭を廻つて観音へ。雪解(ゆきげ)の下の去年(こぞ)の葉を、寄せて片して掃き清め、馬頭の菩薩へ閼伽(あか)差し上げて、(とも)しき供物そなへて祈るは、我が(つま)捨身(しやしん)他世(たぜ)必生(ひつしやう)彼国の一事なり。
 「なう、しのぶ。心なしか観音様の玉眼(ぎよくがん)が、今日は一段輝くやうな・・・・・」
 「ほんにさう見えまする。今年になつて初めての、若君を見るうれしさに、おつむのお馬も喜んで
  おいでるやうぢや」
 「若ぼんもほんに美丈夫。血脈(けちみやく)は争へぬ。観音様もうれしかろ」
 「美丈夫とは、又大げさな」
 「体にはレツキとした証拠(あかし)の体毛」
駒王丸もうなづきて、
 「観音様にもお見せせうわいなう」
やにはに肌脱ぎ背に生えし、黒き(たてがみ)見せキツパリ、
 「(とと)様、観音様、見て下されませこの(しるし)
 「コレ、この寒空(さむぞら)に勇むでない」
姫はあわてて着せかける。そこへ安達の七郎が、家来従へ引き連れて、狩の戻りか賑はしく、弓矢手挟(たばさみ)み来りけり。
 「淡雪降れる山里の、()みし暮しの徒然(つれづれ)に、鹿や兎の足跡を求めて今日も巻狩と、酒落(しやれ)てはみたが」
家来、兎を持ち上げて、
 「手に入つたは野兎一羽。これでは晩の菜にもならぬわ」
 「コリヤ、骨折り損の草臥(くたぶ)れ儲けだ」
七郎すばやく姫に目を止め、
 「オヤ、そこに祈るは下照姫ではおぢやらぬか。相も変らず美しいなう」
下照姫も驚きて、
 「マア、七郎様ではおぢやりませぬか。狩のお戻りとお見受け申し上げまする」
 「健固ぢやつたか、何よりぢや。聞けば生計(たつき)もままならず、子供一人を育て兼ね、困つて
  いると聞いてはいたが、世帯の苦労も知らぬげに、桃も熟せる下照姫。どうぢやいつそ、
  館へ上り、手かけ奉公してみぬか」
池に追ひ込み(なぶ)()の、その昔さへ知らぬげに、床几(しやうぎ)に座して姫眺め、目尻おつ下げ乗り出せり。
 「この山里の(ひな)暮し、濁れる酒を()んではみても、どうでスツキリ酔はれぬわけは、
  雛の飾りが不美人揃ひ。長生きするはよけれども、右も左も石長姫(いはながひめ)で」
木花咲耶(このはなさくや)と言はないまでも、せめて折りたや下照姫。しのぶ、目を三角にし、
 「殿様は、相も変らずご執心」
 「どうぢや、どうじや」
下照姫手を(つか)へ、
 「弥生の十六日は亡夫の命日。七回忌を済ま
 せますれば、何処へなりと(あが)りませう」
 「エエ、まことか」
しのぶ・新助打ち驚き、
 「コレ姫様、何と言ふ事を」
引き止める手も知らぬげに、

 「決して、二言はござりませぬ」
 「すりや、あの馬めは死んだのかや。それぢやによつて気兼ねなう、我が元へ来る気にもなつた
  のか。ヤヤ、何より目出度い目出度い。絹の着物(べべ)着せ美味(うま)きもの、タツプリ食はせ磨き
  上げれば、フフ、今一段と女前(おんなまえ)上らうと言ふものぢや。腰も苦労でたくましく、
  夜長に鳴らし()く琵琶の、膝に()へたる抱き心地、ウウ、たまらぬ、たまらぬ」
 「まことここの暮しにも、厭気(いやけ)がさして参りました。亡き父母も殿様の、お世話になるを
  喜びませう」
 「よう決心してくれたわい。長い間のわれが執心、やつと叶ふといふものぢや。ドレ、心変りの
  せぬうちに、十六日のその日には、必ず迎へに参らうぞ。約束ぢや」
 「恐れ入り奉りまする」
ソレ帰館ぢや帰館ぢゃと、供引き連れてうれしげに、帰る姿もイソイソイソ。
しのぶ・新助とり縋(すが)り、
 「転合言うてはなりませぬ」
 「いいではないか。何処に居やうとわらははわらは。これが仏のお導きなら、蓮の生えざる堅田(かただ)
 の中も、一向(いと)ひはいたさぬぞえ」
泥田(どろた)より、白蓮華(びやくれんげ)も生えるなり。
 「ぢやが実は、十六日のご命日に、我が夫様のお帰りの、確かなる予感あつて、先程からの胸騒ぎ。
  きつとお帰りあることぢやらう。これはお戻りのための実は計略。いつも七郎殿の横車を押し(とど)
  めてきた人なれば、今度(こたび)もきつとお戻りあらう」
しのぶもシカとうなづきて、
 「なるほど報せが千里走つて、危難にお出でがあつたもの。ぢやが、それにしても気が揉める。
  観音さま、お守りあれや」
と祈りたる親子・主従にあたりたる、春の日差しの

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角馬(つのうま)  敵討ちの段 もものじやうど
淡々(あわあわ)し。
 水温む春の岸辺を吹く風と、袖に流るる涙の川の、日蔭の波は音もせず。馬頭の仏は三面八()、何を(いか)るや三眼の、光りも強く見据へたる、この世の修羅の果てどころ。仏前に位牌あり。僧の読経に(ぬか)垂れて、祈るは僅か四人(よったり)の、後から来たる七郎が、迎への輿(こし)を担がせて、
 「ヤアヤア、まだ法要は終らぬか。約束なれば迎へに参つた。サツサと切り上げこの輿に乗つて
  しまへ」
()き立てる。姫は赤面(あかづら)の前に手をつき、
 「早々のお迎へ恐れ入り奉りまする。ぢやが(いま)だ法要も相済みませぬ事なれば、暫時我が
  あばら家にてお待ち下されませいなア。湯茶なりと差し上げますれば」
と、身に具はれる愛矯もて七郎をば見つめれば、(をのこ)はぐんにやり、
 「さうかさうか、ぢやがひとつ、早めに頼むぞ」
と、家来引き連れ去りにける。
 そこへ旅の母子(おやこ)連れ、それも三組がやつて来て、
 「申し申し、皆々様。ここが七回忌の仏様でござりませうや」
と呼び掛ける。しのぶ驚き、
 「ヤヤ、旦那でなうて、こまいのが」
女の一人腰折りて、
 「失礼をばいたしまする。わらは一同もご命日の法要に、加はらせていただきとう存じまする。
  わらはは三河より参つた家村が妻と子にて」
 「紀伊より参つた家村が妻と子」
 「土佐より参つた家村が妻と子」
女三人一斉に、子の着たるもの脱がせ、金太の腹掛け一つになし、背の(たてがみ)を示しけり。
男の子は大・中・小、
 「いへむらが子、駒形丸ツ」
 「いへむらが子、駒影丸ツ」
 「いへむらがこ、駒石丸(こまいちまる)ウ」
と見せキツパリ。それ見る駒王も肌脱ぎて、
 「わしもだア、いへむらが総領(そうりやう)、駒王丸ツ」
とぞ勇みける。一番こまいのがハツクシヨン。
 「わかつた、わかつた、風邪ひくぞえ」
と下照姫の着せかけて、
 「マアマアマア、我が夫様も離れ技、七年のうちに四人の子持ち。ホホホヽヽ。どうぞ皆様拝んで
  下されませいなア」
大勢の読経の声に安達現れ、
 「なんだなんだ、人数が増えおつて・・・・・。安達七郎待ち草臥れた。下照、早う輿に乗れ」
妻の一人が気色(けしき)ばみ、
 「ナニ、安達とな、安達こそ我が夫様の(かたき)の片割れ」
とハツシと指差し詰め寄れば、子らもワラワラ詰め寄りて、
 「わが(とと)さまのかたきのかたわれ」
とののしれば、安達驚き、
 「ナンダ、ナンダ」
とタジタジ゙タジ。しのぶも共に勢ひづき、
 「ここの大殿にも憎つくき敵。皆様御用意」
と声上げたり。下照姫驚きて、
 「皆様皆様、お待ちあれ」
一人オロオロ止めたれども、皆鉢巻きに(たすき)がけ、唯の一人も聞かざりけり。安達大きに驚きて、
 「小癪(こしやく)女子(めこ)餓鬼童(がきわらし)、一人残らず返り討ち」
と、刀抜く手も定まらず。
そこへ一陣つむじ風、(つむり)に一角持つたる馬の、高く(いなな)き現れ出で、安達めがけて突きかかる。女共一斉に、
 「オオ、我が夫様のお成りぢや、お成りぢや」
と、手の舞ひ足の踏むところ一通りにはあらざりけり。倒れし安達に取りつくは、さすが馬の子、
手足にガブリ、
 「イタタタタ」
と安達気を失ひたり。一角獣はその角に、安達引つ掛けザンブリと、(そば)の池に放り込む。池は見る間に血の池と、変るは諸悪・罪科(つみとが)を水が溶かせる仕わざにて、こは霊泉とこそ見えにける。馬は巻物(くは)へ来て、その血の池に()けたれば、ザブリザブリと洗ひけり。
 「さうぢや、あの法輪(ほうりん)で」
と、しのぶは馬頭の法輪を、一臂(いつぴ)のみ手よりはずし取り、
 「南無観世音」
と血の池へ、ザンブとばかり投げ入れたり。
 あら不思議やな池の水、サツとばかりに血の色の、引き変りたる真清水の、清き面を見せたれば、馬は巻物高々と、引き上げたればこはいかに、尊像の絵の血糊(ちのり)とれ、清き面と変りたり。
 「ヤア、不思議の仕わざなり。こは霊泉でありしか」
と、姫も手を打ち喜びて、共に尊像伏し拝む。
しのぶは馬より尊像受け取り、
 「駒王様、この一軸(いちじく)をお持ちあつて、イザ鎌倉へ」
と促せば、皆喜びて口々に、
 「お家再興を願ひ出で」
 「お許しあれば三浦介(みうらのすけ)
 「受けて先祖の汚名を(すす)ぎ」
 「後の世までも家継ぎて」
 「功名手柄を立てたきもの」
新助、二疋の馬を()き来れば、
 「サア、鎌倉へ急ぎませう」
四人の子供二人ずつ、そばにはしのぶと女三人。
下照姫は角馬に寄り添ひて、
 「駒王はしのぶに任せました。わらはは夫の供養をなし、無事に成仏なされますやう、お勤め欠か
  さずいたしませう。皆つつがなう」
と手を振れば、馬共々に去り行けり。
下照姫角馬の背を撫ぜて、
 「オオ、花が散る、極楽ぢや。かほどの浄土をよそに見て、何うれしうて命の遣り取り。殿御は
  意地に生きるもの、女は情けに生きるもの。桃源の桃の花びら地に敷きて、その花びらの下に
  朽ちなん」
                   (幕)
(平成十年度 国立劇場 新作文楽脚本 一席
                             
                            参考文献  「大白神考」柳田国男
                                 「幸若舞」Ⅰ・平凡社編
                                 「熊野考」丸山 静

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