ねらい
我が国の東北地方から関東・中部地方へかけて信仰されている「おしら様」は不思議な神である。もともと土俗信仰の神らしいが仏とも習合し、又民話も混入して一種不可思議な味を持つ。東北地方の博物館でおしら神を見た時、その意外な大きさと「おせんだく」という衣の派手やかさに、圧倒されてしまった。もっぱら女の祭る神といわれているその御神体は、一対の桑の棒なのだが、その棒には幾重にも盛り上るように色とりどりの布が着せてあり、一方には娘の顔、もう一方には馬の顔が描かれてあった。何か禁忌の光景だったが、どうやらこの馬は悪霊を撃退してくれる客神であり、娘は人身犠牲というよりその客神を喜んで迎え入れる共同体の女達のシンボルだったらしい。正月・三月・九月の祭礼は、農業・蚕業とも結びついて、豊穣を願う神と解釈されている。それは馬頭観音とも習合したようである。
中世、三浦氏の滅亡の折、三浦家村は一人脱出し、漂泊の末三河地方に土着し、後の世まで家を保ったといわれている。宝治合戦の疾風怒濤を思う時、その逃亡は少々疑問なのだが、これを中有(中陰)の状態とする事にして、ドラマを作ってみた。八部衆の一人乾闊婆は、もともと帝釈天の部下であるガンダルバアのこと。半人・半馬の姿をし、ヨーロッパへ行ってケンタウロスとなった。乾闊婆は中有に迷う死者の姿ともいわれている。これを昼と夜に分けた姿に変形させ、姫と恋を語らせてみた。昔、桃畠の隣りに住んでいた時、花の咲いている間中、昼も夜も桃源境のようだった。そんな民話的世界の桃色で、武士の世の殺伐を塗りつぶしてもみたかったのである。
あらすじ
甲斐の国・桃木村の荘司の娘・下照姫は、三月のおしら様の祭礼の晩、二人の男の訪問を受ける。
一人はこの地の地頭・安達七郎、今一人は傷ついた若い落武者だった。手厚く看護するうち、落武者と姫は恋に落ちる。その若者は夕べに来、暁に蹄の音を残して去るのだった。強引な安達の求婚に、姫は妊娠を告げる。怒る親や安達に責められても、姫もその若者の素性を知らないのだった。姫の危難の折に馬となって現れて姫を救った若者は、自分は安達によって滅亡した三浦家の六郎家村であり、一族滅亡の折逃れて三浦の血を残すよう、又頼朝公の尊像についた血の汚れを霊泉で洗い北条に帰参を願えと兄より遺言され、その目的の為に夜は生身、昼は馬とされたこと、実は自分は中有に迷う死者なのだと告白する。驚く姫は必死にひき止めるのだが、若者は暁に馬となって去ってしまう。
それから七年が経ち、姫は六才の男児とあばら家で暮している。父母も今はなく、その貧しさにつけ込んで安達は手かけ奉公を強要する。姫は危難に現れてくれる夫を期して、意外に素直に承諾する。安達は喜び約束の法要の日に迎えにゆくと、何処からか家村の三人の妻と三人の子がお参りに現れる。その三人の男児と姫の子も、背中に髦が生えているのだった。姫が七郎に連れ去られようとする時、おしら馬が現れ、七郎を角にかけ池に投げ入れる。その池は七郎の血も清めるほどの霊泉で、その水で絵像を洗うと、もとの美しい尊像に戻ったのである。尊像の巻物を持ち帰参を願おうとする三人の妻と子たち。姫は皆と別れ、馬の成仏を願うため、一人この地に留るのだった。
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